笹餅なんて作ってみた。

明大放研の合宿で越後湯沢に来ています。
「合宿」と名がついていますが、ただ単にどっか出掛けて泊まりがけで飲もうってのがウチの合宿です。高校の放送部とかだと、いわゆる俗に言う「合宿」という雰囲気があって好きなんですが………まぁこれはこれでいいモノです。

んで、ほとんどの参加者がスキーやスノボに興じる中、引きこもりでめんどくさがりのKairiは、体験モノとして笹餅なんぞ作っておりました。
体験施設の方にあんこと餅の粉は用意していただいていたので、あんこ丸めて、餅を混ぜ合わせ、餅であんこを包んで、笹で包めば完成、という実に楽チンなものでした。かかった時間も1時間くらいだったような。

あんこを包むまでは終始手を使っている関係で写真が撮れなかったのですが、なんつーかアレですね、粘度みたいwww
あんこは1個サイズに切っていただけていたので、それを取って、手でくるくると転がして丸に。簡単ですね。
餅は米粉と薄力粉をボールに入れ、初めによもぎ入りの水を一気に入れて混ぜ合わせる。ダマになってしまって混ぜられなくなったら、少しずつ水を加え、まんべんなく色がつく程度に混ぜていきます。混ぜ終わったら練り上げるのですが、この感触がまぁ紙粘土のようでwww それを分けていって、1個サイズに丸めていくんですから、なんか幼稚園とか小学校を思い出しました。
で、1個サイズになった餅を指で押し広げ、あんこを包みます。包み終わって丸めたところで、笹にくっつかないように脂を塗ります。……はい、ここまでは実に簡単な粘度教室でした。しかし、その後が問題で。

この後、ダンゴ上になった餅を笹にくるむわけですが、これが難しい。
笹団子を結ぶ。笹を3枚使い、上下をキャンディーみたいに捻って止めます。その捻った箇所をツタで縛っていくんですが、まぁ天性の不器用っぷりを発揮するKairiさん、なかなかうまくいきません。周りの先輩がひょいひょい縛り上げていく中、とろとろモタモタと結んでいきます。

結果から言うと、多分1つくらい餅が微妙にはみ出てたりしたのですが。ともかく、完成品はこんな感じ。

笹餅完成品
全員合計で48個製作しました。

これを施設の方に蒸してもらっている間、私たちは和室に移動。お茶など飲んで20分ほど過ごしていると、蒸し上がったものが運ばれてきました。
早速試食してみたり。

みんなで試食。
みんなで試食。
食べてみた。
食べてみた。

お土産いくつかお土産で持って帰るので、食べたい人は早めに声かけてね!

初恋の人から手紙が来ました。

初恋のあの人から、唐突に手紙が届きました。
勢いで晒してみたいと思います。公開はしていない。

Kairi、元気にしてる?
今でも相変わらず浴衣フェチですか? 冬でも「浴衣を着てきて」と言ったKairiを思い出すと、今でも笑ってしまいます。

束縛の激しいKairiが重苦しくて、私が「もっと余裕がある人がいい」と宣告してお別れすることになったあの日から、もう6年が経ったのですね。月日が流れるのは早いものです。

お手紙を書いたのは、とくに用事があるわけではないんです。ただふと思い出して懐かしかったので、思いつくままに手紙に書こうと思いました。ふふ。驚いたかな?

別れてから気がついたのですが、私はKairiのことをあまり分かってあげられませんでしたよね。基本的に私以外の女子には距離を置かれていたKairi のことを、もっと考えてかまってあげればよかったなぁと少しだけ後悔しています。私は何人かから告白されたり(実は二股期間もあったり…苦笑)して、きっ と心配をかけたと思います。今さらですがゴメンナサイ(笑)。

そういえばKairiにとっては私が初恋の相手なんですよね?だからか、Kairiは最初のころ、とてもかわいかった印象があります。確か手をつなぐので さえ「なんかごめんね。ごめんね」なんて言っていたから、少し気持ち悪いけど、緊張しているんだなぁと思ったものです。

Kairiの告白って、いきなり「付き合ってほしい。いつか結婚してほしい」でしたよね。それに引かずにOKすることができた私を思い出すと、正常な判断能力がなかったなぁと恥ずかしい気持ちになります(照)。

総括するなら、Kairiと付き合えたことは、とても感謝しています。特にKairiとの恋愛から学べた重要なことは、あまり人に期待しすぎてはいけないということでした。一人で生きられるようになることの大事さを教えてもらえたと思っています。ありがとう。

いろいろ書きましたが、私はKairiのことがそれでも好きでした。これからもKairiらしくいられるよう、そして当時のように森進一の顔マネをみんなに披露しながら(笑)、幸せをふりまいてください。

またいつか会いましょう。では。

P.S. まだバク転の練習はしていますか?

バク転………できたらいいよね(´・ω・`)
というか、初恋の人って誰ですかwwwww的なアレですよね。

ネタバラシ

実はこれ、「初恋の人からの手紙」を作ってくれるというウェブサービスなんです。
いくつか質問に答えるだけで、こんな文を勝手に作ってくれます。
via. 初恋の人からの手紙 – あなたの恋愛を分析して、初恋の人から甘酸っぱい手紙をお届けします

……ゃ、こんなモノ作るなんて、まったく日本人ってホントどうしようもないですね。いいぞ、もっとやれ。

「ホームページを作る人のネタ帳」のyamadaさんや、明大放研で同期のりょうくんとかがやっていたので、便乗してやってみましたー。

モバイル版 Chaotic Creation. リニューアル

当ブログ「Chaotic Creation.(略称:カオクリ)」ですが、皆さんはどんな端末でご覧ですか?
大多数の方がPCからアクセスしているのではないかと思います。実際、例えばmixiモバイル経由だと「パソコン用のページです」みたいな警告が出て見られないように、このブログはPCからのアクセスを想定して構築されています。(追記:普通のケータイから見ると、mixiモバイルはブログをモバイル用に変換してくれるのですね。以前アドエスで見ていた時は見られなかったので、知らなかったです)

しかし、今まで特に告知もしてこなかったのですが、実はカオクリは以前からモバイル端末でのアクセスに対応しているんです。
対応端末はdocomo/au/softbank/E-mobile/willcomなどの各社ケータイ、そしてiPhone/iPod touchでした。これらの対応端末で当ブログにアクセスすると、自動的にモバイル版が表示されるように設定されていました。

ただ、iPhone版はともかくとして、ケータイ版カオクリはデザインがあまりにシンプル過ぎで、かつ、一部の端末(私が常用しているTouch Diamondも含む)ではPC版の方に繋がってしまうという問題があったんです。
カオクリで使っているブログソフト「WordPress」のプラグインにはもっと質の高いモノもあったのですが、サーバーの都合上で実装できていませんでした。それが先日、ようやくサーバー側が対応してくれたので、どうにかケータイ版のリニューアルにこぎ着けることができました。

なんといってもまぁ、デザイン面の改良が素晴らしいこと素晴らしいこと。
コメント欄の表示など未整備の部分もありますが………まぁ、そこはご愛嬌ということでお許しをw
また、ポッドキャストの再生も制限されるみたいですね。まぁケータイでストリーミングして聞きたいなんて私みたいな物好きはあまりいないでしょうから、問題にはならないと思いますが。

お使いのモバイル端末から利用される際は、以下のQRコードをご参照ください。
mixiからじゃ見れねーじゃねーか!」と思ったら、このQRコードでケータイのブックマークにでも登録しておいてください。

QRコード
./

ちなみにカオクリで現在お世話になっているプラグインは以下の2つです。
WordPressでブログを管理している方は参考にしてください。

見た目としてはこんな感じですね。自動で変換してくれるんだから、便利なものです。

Chaotic Creation. from Windows Mobile
Chaotic Creation. ケータイ版
Chaotic Creation. from iPhone
Chaotic Creation. iPhone版

「生きづらさ」の話。

1週間ほど経ってしまいましたが、小飼弾さんの404 Blog Not Foundで「生きづらい = 否定すべき権威が見つけづらい」というエントリーが興味深かったので、ちょっと辿って読んでみた。
弾さんはこのエントリーで、「権威の否定がいきづらさにつながる」というたろさんのエントリーを

違うよ。全然違うよ。

否定すべき権威が見えなくなっちゃったから、生きづらいんだよ。

と真っ向から否定しているんですが………なんつーか一言で感想を言うと、どっちも「昔へ戻ろう」って言ってるだけじゃないか、と。変わんねーじゃねぇかと。
もちろんお二方の言う「昔」のベクトルは大きく違うんだけど、「生きづらさ」を感じているヤツらのそれを取り除くには、そういう今まであった発想じゃダメなんじゃないの、とゆとり世代的には思うわけだ。

たろさん的「生きづらさ」への解釈と対処

自分でいちいち考えるのと,意思を持って貫けることが出来なかったら,大半のことは誰かに決めてもらったほうが楽です。でもそれが,怪しい集団や宗教だったりすると危険です。ですから,昔は何百年も続いてきて社会に適合した仏教みたいなフォーマットがあったのでしょう。
まぁ別に宗教を信じましょうとか,学校の先生の言うことを聞きましょうというのがいいたいことじゃありません。ただ,何かを否定することが,結局は自分のいきづらさにつながってるのではないかな?と思うことがあるということです。なにか得をしていきようと思うばかりじゃなくて,どうでもいいことは誰かの言うこと,そして昔から守られていることに従って生きたほうが,本当に大事なことにエネルギーを注げるような気もします。

文中強調はKairi。

まぁ仏教が「社会に適合した」フォーマットだとは思わない(「社会を適合させた」ならわかる)けれど、言いたいことはわかるんです。

つまり、「自分」という存在の拠り所を何にするか、という話。常識とか習慣とか宗教とか、そういった既にあるモノ(エントリー中の用語で言うなら「権威」)に拠るのか。はたまた、自分の意志とか思想とか信念とか、そういったモノを1から作り上げて、そこに拠るのか。
で、たろさん的には、「権威」に拠った方がいいと考えたわけだ。それはわかるんです。
建築物に例えるなら、「自分」が“家”で、「権威」が……まぁ、“街”。だだっ広い荒野をわざわざ開墾して、土地を均して“家”を建てるよりも、既に“街”の中にある空き地を利用して建てた方が楽でしょ?ってことですから。

でも思うんです。今回の「生きづらさ」問題の根幹は、“街”に生きることを軽視する風潮なのでも、“街”の外の荒野の存在が知れ渡ってしまったことでもなくて、“街”の中に魅力的な空き地が残っていないことなんじゃないか、と。もしくは“家”を建てられるほどの空き地も残っていないんじゃないかと。
「権威」、旧来の社会に、これ以上の人々を支えるだけの包摂力が残されていないんじゃないか、と。

“街”に(物理的or魅力的に)いい空き地がないなら、若者はどんどん荒野に降りて、新たに“家”を建てなきゃいけなくなる。まぁ、いわゆる「自分探し」だ。
でも、荒野は広い。“街”と違って、何かから選びとればいいんじゃない。いちいち自分で考えて、選択肢を作らなきゃならない。………正直、それは面倒だ。
だから、たろさんが言うように、楽に生きたいなら“街”に戻ればいい。
しかし残念ながら、荒野で「自分探し」しちゃった人はそれがなかなかできない。だって元々土地がないから出て行ったのだもの。そんなヤツのために“街”が空き地を用意してくれるはずはない。

つまり、「生きづらさ」を感じているのは、「権威」の側に回りたいのだけど回れれない、かつ、1人で「自分」の拠り所を用意できない人々なのだ。
そんな人々に「権威に従って生きろ」というのは酷だ。できるなら初めからそうしているのだから。

小飼弾さん的「生きづらさ」への解釈と対処

一方、弾さんは「生きづらさ」をこう解釈している。

「大人になる」というのは、これまで–そして今でも–「自らが自らの権威となる」ことを意味していた。権威の否定というのは、そのために欠くことの出 来ない成長過程でもあったのではないか。親や教師を否定して行く過程を経て、人は親となり教師となっていくというわけだ。

ところが、権威というのはまさに挑戦され、否定され続けるために存在するのである。

これではなり手が減るのも無理はない。

それでも、親だとか教師だとかといった職業は残る。それでどうなったかというと、職名はそのままに、彼らは権威を引き受けることをやめたのだ。「こうしなさい」というのをやめ、「あなたの思う通りにしなさい」と返事するようになったのだ。

それは、正しいようで正しくない。誰かが「いずれは間違っていたことが証明される」という立場を引き受けないと、何が正しいのかがわからなくなってしまう

それがわからないから、「生きづらい」のではないか。

文中強調はKairi。

先ほどの例えで行くと、今まで「空き地はなくとも、工夫して“街”に“家”を建てること」が強制されていたけれど、最近は苦情殺到なので、「空き地がないならしゃーないね。荒野開拓してもぉk。だから好きにしたまえ」な姿勢に“街”の側が変わってきた、と。“街”の政治家が土地不足を原因とした違法建築の責任追求にビビって、市場介入やめてみました、みたいなね。………あれ、どっかの国で聞く話だね。
で、とにかく“街”で空き地探してた若者は喜び勇んで荒野に飛び出していくわけだ。「広い土地がある!」と。
ところがどっこい、落とし穴は隠されているもので、「好きにしたまえ」の前には小さく「自己責任で」と書かれていたらしい。“街”を出てった以上は生活保障なんてしてやらねーよ、という政治家の作戦勝ちなのでした!みたいな。

…………余計わかりにくくしちまったかw
つまりはまぁ、人は「権威」による規制にあうことで、なにが自分にとって正しいのか、間違っているのかというのを「権威」と「自分」の比較で判断できるようになる、と。
ところがその規制がないせいで、「自由って言ってもなにすりゃいいのかわかんねーよ」的なゆとり発言に繋がるということだ。その「わかんねーよ」が延々と続くから「生きづらい」のだ、と。

その上で、弾さんは具体的対処として、自らの親としての姿勢を上げている。

それゆえに、私は娘たちにこう言っている。

「我が家では、どんな時でも弾が正しい」、と。

それは、私が無謬でないこととは矛盾しない。むしろその逆だ。弾はしょっちゅう間違える。本blog名物のtypoを見るまでもなく。しかし「弾が 正しい」としておくことで、娘たちは弾が間違っている場合にどう間違っているのかを説明し、実際に正しいのは何なのかを証明することを強いられる。もし私 が「君の思う通りにしなさい」と返事をしていたら、娘たちが「仕事」から学ぶ機会がなくなってしまうではないか。

つまり、荒野で“家”を建てたなら、“街”になるまで発展させろ、と。

……………まったくもって、本質を理解できていない。
前述の通り、「生きづらさ」を感じている人々は「権威」に拠ることに未練を感じているのだ。端から独りで荒野に“家”を建てられる人間は、弾さんのように「生きづらさ」など感じない。だって独りで生活できるから。“街”の補助などいらないから。

もう私は生きづらくはない。「きつく」はあっても。

そりゃぁそうだろう。そもそも生きることは「きつい」こと(=苦労)の連続だ。それは誰しも同じ。
でも、弾さんは「生きづらさ」に関しては感じない。彼はもう、荒野の“家”ではなく、“街”そのものなのだから。

Kairi的「生きづらさ」への解釈と対処

さて、整理しよう。「生きづらさ」を感じている人はどんな人々か。

  • 「権威」に拠って生きたいけれど、残念ながらその中での「自分」に適応できない。または、それが希望の「自分」ではない。
  • しかし、独りで何もかもを考え、選択し、生きるほどの能力はない。または、面倒。

つまり、彼らは「権威」に拠れず、「自分」で考えることもできないので、ただ流されるままに生きていくしかないのだ。

「権威」に拠っていれば、とりあえず集団内での「自分」の地位が確立され、そこだけでも社会との繋がりを感じる。
「自分」で考えて生けていれば、(極めれば)弾さんのように「権威」として「自分」を確立できる。=対外的関係として、社会と「自分」に繋がりができる。
……………そう、彼らは結局のところ、社会と「自分」の繋がりが曖昧。すなわち、社会と関われずに寂しいのだ。社会(世界と言い換えてもいい)と「自分」の関係性が曖昧だから、「自分」が曖昧で、「生きづらい」と感じる。

もちろん、その根底には弾さんみたいな方への憧れがあるのは言うまでもない。でも彼らにそう生きられるほどの能力はないのだ。本人にないのか、教育や環境でそうなったのかは要因として除外するとして。
だったらたろさんが言うように、「権威」に適用できるよう、自分を変えればいいと思う方もいると思うが、元々それができなかったから「権威」を否定して生きようとしているのだ。
もう戻るところもない。まるで陸に上げられた魚のように、孤独を抱えたまま、少しずつ少しずつ息が詰まっていくのだ。そりゃ生きづらい。

では、彼らがその「生きづらさ」からどうすれば脱却できるのか。それはすなわち、一言に尽きる。

とりあえず、関われ。

某有名ラジオ番組のサブパーソナリティーじゃないが、とりあえずどんな形であれ、社会と繋がるようなところを作れ。
元記事には、例として左翼組織が挙げられている。

こうしてみると、左翼組織というのは、その事務所において、たまり場であり、サポートセンターであり、行政や雇用への窓口であるということを兼ね備えた ところになりうるのである。そして、思想的連帯感という前提はあるものの、なにより居心地がいい。「他者とのコミュニケーションのなかでそのつど自分の能力や価値を認めてもらわないといけないという圧力」がない、もしくは非常に弱いのである。
それは自分の「居場所」を定め、「価値」を無条件で承認してくれる、「生きづらさ」緩和組織たりうるのかもしれないのである。

左翼組織という“街”は相当に解放されているらしい。空き地がまだまだたくさんあって、出入りや住む上での規制が特にない“街”。“市場”とでも例えようか。
もちろんこれは左翼組織だけの話ではない。NPOやらサークルやら宗教団体やら、同じようなコミュニティーはたくさんある。「生きづらさ」を感じているなら、とりあえずこの“市場”に関わってみればいい。多分、悪い気はしないと思う。

しかし、これだけでは不十分だ。“市場”は人もモノも頻繁に出入りすることで成り立っている。そしてそれには、流通路となる幹線道路とその案内が不可欠だ。
つまり社会の側から、こういったコミュニティーがそれ単体で完結しないように、それぞれネットワークを構築するよう促さねばならない。ネットワークがなければ、入ったコミュニティーからも外れてしまった人の選択肢が、またなくなってしまう。
今はまだ、そういったところができていない。誰かに頼らないと生きていけないけど「権威」には拠れない人々への救済処置があまりにもなさ過ぎる。“街”に包摂力がないなら、社会の方で作っていかなければ。

  • 1つは、自由なコミュニティーを作ること。
  • もう1つは、「権威」やコミュニティーを繋ぐネットワークを強化すること。

昨年の秋葉原の事件だって、少なからずこの「生きづらさ」の問題が関与しているのだと思う。
我々の社会で「生きづらさ」を感じないようにしていこう。
そのために必要なのは、個人の努力と社会の改変、その両方なのだ。

遅くなりましたが、あけおめ更新。

ご挨拶遅くなりましたが、あけましておめでとうございます。
旧年中は多数の方にご迷惑をおかけしましたが、今年も変わらず好き勝手に生きていきたいと思います★

さて、さしあたっては今後の予定ですが、今月の早い内に新企画が皆さんのお目にかかると思います。予定では10日開始予定ですが……まぁいい加減でお馴染みの私の言うことなので、当てにならないのはお察しの通りですw
具体的には初の二次創作小説「The HUMAN」の公開、ならびにPDF出版を行います。もちろん、文字媒体素人の私が書いても大したモノにならないでしょうから、物書きさんである友人のKaiに書いてもらってます。原案:Kairi、文章:Kaiってとこですかね。紛らわしいですが、公開始まりましたら、よろしくお願いします。

また、めっきり更新と放送が止まってしまったメディエヴォことMedia Evolution.ですが、早くて今月末、遅くても来月の再開を考えています。
ポッドキャスト版の方は夏の特別編の後、溜まっている分を順番に。放送の方は「教育」または「好きの伝え方」というテーマで、時期に合わせて放送していきたいです。今まで、表現とかアートとかにテーマが偏りがちでしたが、もうちょっと社会的な内容を扱えれば、と考えています。
こちらも再開をお楽しみに。

放研は引退して離れ、就活も大学生延長戦決定のため先延ばしされ、表現したいことの方向性が自分の中でどんどん定まっていく今日この頃…。その成果がこのブログに少しでも反映されていけば、と思っています。
というワケで、今年もよろしくお願いいたします。

蛇足:2009年の目標

個人的なメモ程度の意識ですが。まぁ意識しとくのって重要だよね。

  1. 時間を大切にする。
  2. 常に自分の方向性を意識する。

去年できなかったことと、ちょっとだけできたこと。
もう迷っただの悩んだだの言ってられる歳じゃないですし。言い訳もしてらんない。自分のやりたいことをちゃんとやって、満足のいく結果を出さなきゃならない。でも、現状の自分じゃそれさえツラい気がする。だから、基本的なトコくらいは抑えよう、なんて殊勝なこと考えてます。……珍しいっ!!
さ、まずはバイトからちゃんと行きますかw

実家からの帰りの電車内にて。

【お詫び】「Twitter Posts」の多重投稿

昨日当サイトで起こったエントリーの同時多重投稿について説明します。

昨夜、当サイトで「Twitter Posts(2008-12-11)」というエントリーが同時に40件以上投稿される、という現象が起こりました。深夜3時頃、利用しているブログソフトのWordPressの更新作業中に発見し、上記エントリーを削除した上で、RSSリーダーで当該箇所がRSSフィードから削除されたことも確認しました。
ところが、mixiではこの削除処理が認識されておらず、40件以上の「最新日記」としてマイミクの皆さんに配信されたようです。
関係各位にはご迷惑をおかけしました。申し訳ありません。

そもそもこの「Twitter Posts」ですが、WordPressのプラグインであるTwitter ToolsのDaily Digest機能を利用して配信しています。しかし、このプラグインのバージョンアップ以降、なぜか動作していなかったので、バグ修正版を待っていたところでした。今回の現象はこのプラグインの不具合によるものと思われますが、残念ながら詳しい原因は不明です。
ただ、Daily Digest機能が止まっていた期間(上記プラグインのバージョンアップ〜今回のWordPress本体のグレードアップ)の日数と、今回の多重エントリーの数が大差ないことを考えると、WordPress側の仕様の問題があった可能性も否定できません(このプラグインがWordPress開発版をベースに作られたのであれば、ですが)。

以上のことを考慮した上で、様子見のため、現在でも上記プラグインを動作させています。日付変更後、数時間以内に動作するものと思われますので、何卒ご理解のほどをお願いいたします。
また、WordPress自体やPHP及びMySQLに詳しく、原因がわかるという方いましたら、ご教授いただけると助かります

【告知】オールスター明大祭’08秋!

さて、私がウェブを弄くり回してることで有名な明治大学放送研究会MUBSですが、今週末の3連休に開催される明大祭に併せ、今年も番組発表会と明大祭限定FMラジオ放送を行ないます
私の代が直接関わる番組発表会では最後となる今回は、「オールスター明大祭’08秋!」と題して、本家TBSの「オールスター感謝祭」顔負けのイベントになるらしいです。やれ出店生中継だ、やれクイズだ、やれ競馬実況だ、なんかスゴいこと企画してるっぽいですよ。
また、昨年に続き、明大祭限定FMラジオ:Amazing FM(89.2MHz)で1時間枠の番組を3日間連続で持つらしいです。こっちはこっちで、他番組(仕事が遅い上に注文が多いことでお馴染みの実行委員会や、犬猿の仲のアナウンス研究会)に負けないような番組になる、とのことです。「普通のラジオ番組は、もう『まっぴら』」なんだそうです(公式サイトより引用)。

………なんで「らしい」だの「っぽい」だの、表現が曖昧なんだって?
ゃ、実は全然まったく運営に関わってないんですよ、今回。昨年6月の駿河台番組発表会の際は、ワタクシ“技術パート長”なんて大役についてたんですが、めんどいのでりょう君に押し付けまして、お得意の“ウェブ広報担当”という役職に就きました。
ところがどっこい、一度やろうと思ってしまうと手加減できなくなってしまう困ったガチ症候群をお持ちのKairiさんはですね、またまたまたまたいろんなことに手を出し始めてしまったんですね。……ま、結果は大方の予想通り、今非常に困った状態に置かれています。ToDoの嵐で笑ってますw

具体的にどんなことやってるかって言うと、ビデオキャストの配信と特設サイトの構築です。
ビデオキャストの方は仲間がいるので、ここ数日間で一気に数回配信したりしました。チームプレイって偉大ですね。
問題となったのが特設サイト。これがねぇ……早いうちからるにに素材をもらってたので、「あと打ち込むだけじゃん♪」とか思ってたら、自分が思ってた以上にCSSを覚えておらず、まぁ進まない進まない…。
このエントリーをようやく書けたのも、特設サイトの方にある程度メドがついたから。まったく、俺ってば飛んだヘタレだな。

さ、じゃぁマジメに告知しますと…

オールスター明大祭’08秋!

11月2日(日) 13:00 – 17:00
11月3日(月) 11:00 – 15:00

場所:和泉キャンパス 第一校舎314教室

明大祭限定ラジオ番組「MUBS NEXT」

11月1日(土)     11:30 – 12:30
11月2・3日(日・月) 10:30 – 11:30

場所:明治大学和泉校舎 メディア棟1階ラウンジ
または、お手持ちのラジオで89.2MHzに合わせてください。

詳しくは、特設サイトの方でごらんくだされ。特典映像もありますよ。

【告知】お彼岸ライブ in 青山 2008秋

今週23日(火・祝)、「お彼岸ライブ in 青山 2008秋」というイベントにスタッフとして参加してきます。
詳細はフライヤーから抜粋した以下をご参照ください。

お彼岸ライブ in 青山 2008秋

お寺は昔、老若男女問わず、とても気軽に立ち寄れる場所でした。お墓もある毛で寺子屋も広場もある。そんな地域の憩いの場だったのです。
そこで若い方にも、お寺をもっと見直に感じて欲しいという気持ちから始まったお彼岸ライブも今回で4回目を迎えます。
檀信徒の皆さん、青山在住・在勤の皆さん、そしてこの案内をご覧頂いた皆さん、「お彼岸ライブ in 青山」をどうぞ気軽に楽しんでください。

(主催:青山文化村)

日時:2008年9月23日(火・祝) 14:45 会場 / 15:15 開演
場所:梅窓院 祖師堂(入口2)
主催:青山文化村

出演アーティスト
  • acushla(アクーシュラ)
  • Soothe(スーズ)
  • tokyo creatist(トウキョウ クリエイティスト)
  • pjeckae(ペチカ / 本来はcの上にウムラウトがつきます)
  • Arai Hitoshi(新井 仁)
  • Neeko(ニーコ)

この日はお彼岸ですから、このイベントとは別に寄席と法要が行なわれています
俺を含め、案内のスタッフが何人か立っていますが、入り口が違うのでご注意ください。